2019年10月31日午前2時40分ごろ、
首里城の正殿で発生した火災は、
11時間にわたって燃え続け、敷地内の7つの建物を含む、
およそ4,800平方メートルが焼けた。
警察によると、火災報知器が作動した正殿のシャッターは施錠されていたことなどから、
内部から出火した可能性が高いとみられている。
正殿は、外部で火災が発生した際に、
自動的に延焼を防ぐ「ドレンチャー」と呼ばれる消火設備が作動するが、
内部のスプリンクラーについては設置義務がなく、設備がなかったという。
警察と消防は、1日午前10時から合同で実況見分を行い、
火事のくわしい原因を調べることにしている。
また、玉城知事は1日、菅官房長官と面談し、復元に向けた協力を求める方針。
沖縄県の玉城デニー知事は31日、
那覇市の首里城で発生した火災を受けて出張先の韓国での予定を切り上げて帰国した。
那覇空港から首里城に向かい、視察を終えて県庁に入ったが、
記者団からの「首里城を見てどうだったか」との問いかけには終始無言で厳しい表情を崩さなかった。
玉城氏はこの後、県庁内で首里城火災対策本部会議に出席する。
世界遺産はどうなるのか?
城跡が世界遺産に登録されている那覇市の首里城で発生した火災を受け、
文化庁は31日、
被害状況や出火原因が確認でき次第、
国連教育科学文化機関(ユネスコ)に報告する方針を明かした。
担当者によると、
登録対象は敷地内に残る石垣などの遺構で、
今回焼失した建物ではないため、
「ユネスコの判断になるが、ただちに登録取り消しという話にはならないのでは」
との見方を示している。
首里城跡は平成12年に他地域の城跡とともに
「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」として世界遺産登録された。
これらは14世紀後半から18世紀末にかけての琉球地方独自の文化遺産群で、
首里城では石垣や石段、石門など当時の城郭を構成する遺構が世界遺産として認定された。
一方、今回焼失した正殿などは先の大戦で焼け落ち、
平成元~4年にかけて復元されたもので、世界遺産の対象外となっている。
文化庁によると、
ユネスコは火災を含め遺産の管理状況の適切さも登録継続の条件としている。
ただ、首里城の遺構の多くは地下にあるため、
防火よりも掘削からの保護などが管理上の主な点検事項になっていたという。
同庁は遺構への火災の影響は限定的とみているが、
被害を受けた可能性も否定できず、早急に調査を進める方針だ。
担当者は
「今回は構成遺産そのものが焼けたケースではないが、首里城は沖縄の文化的なシンボルだ。
火災が起こったことは大変遺憾で、今後は国として支援していきたい」
と語った。
正殿などが焼失した首里城(那覇市)は、修学旅行の主要な立ち寄り先だ。
沖縄県では10~12月が修学旅行受け入れのピークだが、火災後、ルートを首里城から変更する学校も出ている。
「沖縄ツーリズム産業団体協議会」の集計では、
今年11月~来年3月に約800校、約17万人の生徒らが沖縄を訪れる予定だった。
うち8割以上が首里城を行程に組み入れていたとみられる。
県によると、10月31日の火災後、
行き先を首里城から琉球王家の別邸「識名園」や沖縄県立博物館・美術館に変えた学校があるという。
修学旅行自体を中止したとの情報は入っていない。
協議会は今後も沖縄に来てもらえるよう、他の施設を紹介するなどの対応を検討。
毎年、多くの学校が沖縄を訪れる東京都の教育庁は
「沖縄では、平和関連の施設など、勉強できる場所が首里城以外にも多い。影響は限定的ではないか」
としている。
スポンサード リンク
首里城火災の原因は?
那覇市の首里城焼失で、市消防局は11月7日、記者会見を開き、
正殿北東部の配線と延長コードが溶けたショート痕のようなものが数十カ所見つかったと発表した。
また、首里城関係者が消防の調べに対し、正殿内部のLED照明について
「スイッチを入れたままだったかもしれない」と証言していることも分かった。
延長コードを通じて電気が通ったままの可能性があるという。
調べによると、ショート痕のようなものが見つかったのは、
床下や壁の中で分電盤とつながる配線と、分電盤から電源をとっていた延長コード。
延長コードは約30本に細切れとなっていたという。
経年劣化や小動物がかんでショートを起こした可能性もあり、消防と沖縄県警は出火との関連を調べている。
ただ、配線やコードが溶けているのはショート痕ではなく、火災の熱でできた可能性もある。
市消防局は消防庁の消防研究センターに鑑定を依頼する方針。
正殿内部のLED照明をめぐっては、首里城を管理する「美ら島財団」は
火災発生前日の30日午後9時半に自動的にブレーカーが落ちており、通電もしていなかったと説明していた。
出火原因について、自然発火や放火、焚き火、イベントの道具、タバコの不始末など、
さまざまな臆測が飛び交っている。
首里城では恒例の「首里城祭」が10月27日から開かれていて、
火災の前夜から未明にかけて同イベントの準備で人がおり、
準備の過程で失火した可能性もあるのではといった声もある。
また、日本防火技術者協会理事の鈴木弘昭氏は「電気火災」の可能性を指摘する。
「城の防災担当が出火に気づいてから燃え広がるのが早すぎます。
部屋や廊下など、人がいるような空間で出火したとは考えにくい。
壁の中や天井裏ですでに燃え広がっていたのではないでしょうか。
電気の使い過ぎによってジュール熱が発生し、
電線や電線の接続部分が熱くなって出火した可能性は考えられます」
また首里城の近くで焚き火をしていた人の目撃情報もあるという。
その他にも、県警は不審者を見ていないかなど、周辺に聞き込みも進めている。
これらのことから、自然発生的な出火や電気など機械的なものによる出火、
人為的な失火や放火を懸念する声まで、さまざまな臆測が飛び交っているのが現状だ。
そんななか、「沖縄の首里城を燃やしたのは僕です。」というタイトルで
動画をアップしたYouTuberが現れた。
動画では、大きく息を切らしながら、次のように述べている。
「さきほどニュース入ったと思うんですけど、沖縄の首里城が火災になったということで、
それを実際にやってしまったのが僕ですね。本当に申し訳ないです。
僕の不注意で。タバコを吸ったんですけど、それが近くの森に移って、それがさらに首里城に移ってみたいな感じで。
大事な建造物、首里城を燃やしてしまった。本当に申し訳ないなと思います。
急いで消火活動を手伝ってきて、今休憩中なんですけど、今でも消火活動が続いているということで、
また一緒に協力して、消火活動引き続きやっていきたいです。
ご迷惑をかけたみなさま大変申し訳ございません。
本当に僕のひとつの行動がこういうことになってしまって本当に大変申し訳ございませんでした。
以後、本当に気を付けます」
これに対して、コメント欄では
「面白くもなんともない。 不謹慎」
「冗談だからって許させると思うなよ」
「うそなら偽計業務妨害罪だな」といった非難コメントが殺到した。
その真偽は不明だが、売名を目的にしたいたずらなら、とんでもなく悪質な行為だ。
現在、その動画は閲覧できなくなっている。
午後1時現在も消火活動は続いているものの、那覇警察署によると、この火災によるけが人は出ていない。
スポンサード リンク
首里城の再建は?
那覇市の首里城が焼失してから11月7日で1週間。
政府は火災直後から復元に向けて全力を挙げる姿勢を打ち出し、6日には関係閣僚会議を開いた。
国が迅速な対応を見せる一方、地元の沖縄県では復元計画を策定する枠組みが定まらない。
首里城は県民にとって象徴的な意味を持つ重要施設で再建への思いは強いが、
火災の徹底した検証が先だという意見のほか、
台風や豪雨の被災自治体への気遣いがあり、対応にはもどかしさがのぞく。
政府が関係閣僚会議の開催に向けて調整に入ったのは、火災発生翌日の11月1日。
関係閣僚会議の議長を務める菅義偉官房長官は11月6日の記者会見で
「全体をとりまとめる事務局を作って対応していきたい。早急にやりたい」と強調した。
沖縄県の玉城デニー知事も国への協力を求め、令和4年までに復元計画を策定するよう求めている。
だが、復元計画を検討する県側の態勢は未定のまま。
玉城氏は「国の動向とうまくリンクできるようにやっていきたい」と述べるにとどめている。
今回焼失した正殿や北殿などは建設費約73億円を要している。
首里城を管理する財団は最大約70億円の保険をかけているものの、
資材費や人件費の高騰などで復元費はふくれ上がる可能性もある。
政府は令和3年度まで沖縄関係予算3000億円台の確保を約束しているが、
首里城復元費もこれに計上されれば他の予算を圧迫することになる。
公明党の斉藤鉄夫幹事長が別枠での措置を求めている一方、
菅氏や衛藤晟一沖縄北方担当相は明言を避けている。
玉城氏は別枠での措置を求める考えで、
日頃は玉城氏の県政運営を追及する自民党県連もこの点では歩調を合わせる。
しかし、台風19号などの自然災害が相次ぐ状況で、
国民の目に首里城復元費が災害復旧予算を圧迫していると映れば反発を受ける恐れもある。
11月5日には県議会委員会で一部議員が再建を求める意見書を採択するよう求めたが、
与野党双方から反発を受けて先送りされた。
自民党県連の島袋大幹事長は「台風19号で人災も出ているので、なかなか言いづらい面もある」と漏らす。
玉城氏も11月6日に全国知事会長の飯泉嘉門・徳島県知事と会談した際、台風被害について、
「さまざまな形での取り組みに協力していきたい」と言及するのを忘れなかった。
安倍晋三首相は11月6日の衆院予算委員会の集中審議で、
10月31日の火災で焼失した首里城(那覇市)の再建について
「首里城は沖縄の誇りともいえる極めて重要な建造物だ。
一日も早く復元できるよう沖縄県や地元の意見を聞きながら必要な財源を含め、政府として責任を持って取り組む」と述べた。
また、火災で焼失した那覇市の首里城について、
沖縄県は11月5日、年間294万円の保険料が支払われており、支払限度額は70億円であることを明らかにした。
5日の県議会土木環境委員会で、県土木建築部が答弁した。
焼失した正殿や北殿など7棟の建設費用は約73億円だった。
県の説明によると、保険料の支払いは首里城の管理・運営を委託されている「美(ちゅ)ら島財団」が行っており、
保険金の受け取りは首里城公園を所有する国となっている。
ただ、保険金額に関し、担当者は同委で「現段階でいくらというのはまだ把握していない」と述べた。
沖縄県の玉城デニー知事は沖縄の本土復帰50年に当たる令和4年までに首里城の復元計画策定を求めており、
政府も復元へ全力を挙げる考えを示している。
焼失した建物の復元時と比べ、人件費や資材費は高騰しており、
周辺整備費とあわせて復元費用は73億円を上回る可能性もある。
火災で正殿などが焼失した首里城(那覇市)で11月4日、
正殿などに通じる奉神門の正面の区域が報道陣に公開された。
鮮やかな朱色が特徴的だった正殿は焼け落ちて見る影もなく、
正殿前の中庭(御庭)にはがれきが散乱し、周辺には焦げたにおいが漂っていた。
衛藤晟一沖縄北方担当相の現場視察に合わせて、報道陣も立ち入り禁止区域の一部に入ることが認められた。
正殿の正面の両脇にある竜をかたどった「大龍柱」は黒くすすけている様子だ。
平成12(2000)年の九州・沖縄サミット首脳会合で夕食会場になった北殿は全焼し、屋根瓦も激しく焼損していた。
奉神門も北側の屋根が焼け、骨組みのような木材がむき出しになっていた。
沖縄県警と消防は11月4日、火元とみられる正殿北側の瓦の撤去がほぼ終了したと明らかにした。
5日から本格的に現場を調べる。
首里城は過去に4回焼失している!
【1回目】1453年 全焼(志魯・布里の乱により破壊)
【2回目】1660年 全焼(失火) 1672年に再建終了
【3回目】1709年 全焼(失火) 1712年に再建が開始され1715年に再建が終了している。
【4回目】1945年 全焼(沖縄戦により破壊) 1989年(首里城正殿建築工事着手) 2018年(全完成)
※沖縄戦全焼の時は1958年に守礼門復元工事が竣工されるが、財政面や反対などで実際の工事までにかなり伸びている。
このように見ると、全部で4回首里城は火災などで焼失しているのがわかる。
1回目と2回目の消失の時は再建開始時期まではわからないが、
3回の再建開始(工事着手)時期と完成時期を見ると、
首里城完成までに3年かかっているのがわかる。
また4回目の沖縄戦での消失の場合は着手が1958年だったが、
この時は部分的な補修に着手し、1989年に首里城正殿建築工事に着手している。
1958年の着手から考えると実に完成まで50年以上、
本格的に首里城建築工事をはじめて1989年から考えても30年かかっている。
このように過去のデータを照らし合わせると、
今回の首里城火災も再建着手から数十年単位でかかる可能性は否定できない。
数々のイベントは中止になっている。
た首里城では10/27~11/3に「首里城祭」が行われていたのだが、
運営者により中止となったことが発表されている。
さらに11月2日~11月3日に開催される予定だった沖縄県立芸術大学の「芸大祭」も中止を発表するなど、
イベント開催に大きな影響が出ている。
首里城祭の中止を受け、11月2・3日に開催予定だった「万国津梁の灯火」と、
11月3日に予定されていた「琉球王朝祭り首里・古式行列」も中止となることが決まっている。
2000年には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に指定され、沖縄県を代表する人気の観光地だった「首里城」。
今回の首里城大規模火災によって、首里城関連が観光先に含まれているコースなどはツアーキャンセル、日程が変更となることが予想される。
沖縄のシンボルがいつまで消失したままになるのか、
気になるところだ。
スポンサード リンク
まとめ
首里城が燃えたというニュースを見たとき、
すぐに思い浮かべたのが、
三島由紀夫の『金閣寺』だ。
金閣寺を放火した少年の半生を描いた小説だが、
今回の首里城は果たして放火だったのかどうなのか?
「ボクがやりました」と言ったユーチューバーの存在が、
どうも気になる。