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アメリカが銀行家に乗っ取られた黒歴史

「中央銀行」制度というのは、国民を奴隷化する悪徳商法です。

株式会社の中央銀行が勝手に紙幣を印刷して金を貸し付け、

国民を借金漬けにして利子を貪るわけです。

返済できない人の家や土地を奪い

中央銀行の株主たちがボロ儲けする仕組みです。

 

1791年に第1合衆国銀行が設立されたときも、

反対意見が多く出ました。

当時の財務長官ハミルトンがこんなことを言って説得します。

 

「中央銀行として公認されるのは1811年までの20年間だけ、

という制限付きで、期限が切れたら、

連邦議会が更新するか否かを決める」

この条件付きで中央銀行制度が公認されました。

 

そして20年後の1811年に第1合衆国銀行は消滅しました。

1816年に中央銀行制度復活の動きが出てきます。

議会で5回も否決されますが6回目に議会を通過し、

第2合衆国銀行が誕生しました。

政治家たちは買収されてしまったのです。

 

このときも20年という期限付きでした。

 

第2合衆国銀行を叩き潰したジャクソン大統領!

 

この第2合衆国銀行を叩き潰したのが、

第7代ジャクソン大統領です。

 

「銀行が私を56しようとしているが、

私が銀行を56してやる」

とジャクソン大統領は副大統領に語っています。

 

そして1834年に第2合衆国銀行は消滅しました。

翌年ジャクソン暗殺未遂事件が起きています。

 

南北戦争のときリンカーンは

戦費を銀行から借りるのではなく、

政府紙幣を発行することにしました。

リンカーンは1865年4月14日劇場で暗殺されます。

 

 

 

 

 

 

秘密裏に行われたジキル島の陰謀

それから時がたち1910年、

アメリカ南部ジョージア州にあるジキル島に、

大物銀行家らが極秘会議を開きました。

この島はJPモルガンの所有でした。

 

議題は中央銀行制度を作ることです。

 

 

極秘会議に参加したのは6人。

米議会で金融改革を主導したオルドリッチ議員、

モルガン家やロックフェラー財閥など

金融界から専門家が集りました。

 

ニューヨークからジキル島に向かう列車には

6人の専用車が用意され、

移動には偽名を使うという手の込みようでした。

 

 

10日間の会議では、

今のFRBの骨格となるアイデアが出そろいました。

中央集権を嫌う国内事情から

「中央銀行という名前は使わない」

さらに「独立した15の地域支部をワシントンで管轄する」

「金融危機時に最後の貸し手として機能するため、単一通貨を創造して管理する」ことなどが決まりました。

 

当時、金融パニックが頻発します。

経済恐慌になるたびに銀行家たちは、

「中央銀行がないから、こんなことになったのだ」と言いました。

 

 

 

FRB設立とタイタニック号沈没事件の関係

FRB設立に猛反対する3人の大富豪がいました。

鉱山経営のベンジャミン・グッゲンハイム、

メイシーズ百貨店のオーナーで政治家でもあったイジドー・ストラウス、

当時のアメリカ最大の大富豪ジョン・ジェイコブ・アスター4世です。

 

この3人は大富豪ですから買収の手が使えません。

どうやってこの3人を凋落したのでしょうか?

 

 

ちょうどこの時期、イギリスのホワイト・スターライン社が、

世界最大の豪華客船タイタニック号の処女航海を発表。

 

JPモルガンはこの3人に

「一緒に豪華客船の旅を楽しみましょう!」

と招待状を送りました。

 

モルガンは進水式には列席しましたが、

出発寸前に船旅をキャンセルしました。

 

FRB設立に反対していた3人の大富豪は、

タイタニック号とともに海に沈んでしまったのです。

1912年4月15日の出来事です。

 

1912年11月の大統領選挙でウッドロー・ウィルソンが当選します。

このウィルソンが銀行家たちの手先になった大統領です。

1913年12月23日の議会で「連邦準備制度法案」が可決し、

民間経営の中央銀行を「連邦準備銀行(FRB)」と名付けられました。