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仕組まれた世界大恐慌 カバールの陰謀とは?

世界大恐慌のはじまりは

1929年10月24日のニューヨーク株暴落がきっかけでした。

 

「暗黒の木曜日(ブラック・サーズデイ)」と呼ばれています。

ウォール街のカバール銀行家らがこんな会話をしていたはずです。

 

「おい、みんなで一斉に株を売って、

暴落させようぜ」

 

「暴落させてどうするんだ?」

 

「信用取引で空売りすればいいじゃないか?」

 

「なるほど、株価が下がれば下がるほど、儲かるってことか」

 

「そうさ」

 

「で、いつやるんだ?」

 

「1929年10月24日だ。いいな?」

 

「OK!」

 

こんな感じで、株価暴落事件が勃発します。

しかし、ここで大きな疑問が生まれます。

 

 

●なぜ株の暴落が大恐慌に発展したのか?

株価が暴落して、その後、なぜ大恐慌に発展したのでしょうか?

株が暴落したとしても、投資家の何人かが損失を出すだけで、

経済の実態が破壊されたわけではないので、

国民の生活に影響が出るのはさほど大きくはないはず。

 

カバールAがこんなことを言います。

「株価暴落をきっかけにして、世界中をパニックに落としたいんだよね」

「パニックを起こしてどうするんだ?」とカバールBが尋ねます。

 

「一握りの支配層が富を独占して、

99%の平民を奴隷化するんだよ」

 

「奴隷化するってどうするんだ?」

「国家権力を増大させて全体主義国家を作るんだよ。

そうすれば1%の支配者が好き勝手にできる。

人を殺しても罪にならないし、自動的にお金が流れてくる仕組みも作れる。

どうだ? 楽しい世界だと思わないか?」

 

「当然、オレもその1%に入れるんだよな?」

「もちろん、オレたちの言う通りに働いてくれたらな」

 

「で、どうやってパニックを起こすんだ?」

「それはな・・・・」

 

 

 

●株価暴落が大問題だと煽った奴らがいた!

1929年10月24日にニューヨーク株式市場が大暴落すると、

こぞって、このことを新聞が書きたてました。

 

コラムニストのウィル・ロジャースは「ニューヨークタイムズ」に

「ウォールストリートは大混乱に陥り、失敗した投資家たちが窓の後ろに並んで、

順番を待って窓から飛び降り自殺をしていた」と報告しました。

 

この見てきたような嘘記事が、地方紙に共同配信され

4000万人以上の人々がこの記事を読んだのです。

 

イギリスからの特派員も

「ウォール街の道は死体でふさがれていた」

とテレグラムを送りました。

 

その他の新聞社もこぞって

「少なくとも100人が自殺した」

「飛行機や橋から飛び降り自殺をした人もいる」

と書き立てて人々の恐怖と不安を煽ったのです。

 

昔からこうしたフェイクニュースがあふれていたのです。

もちろん、マスコミを操っていたのは1%の支配者層です。

 

世界中でマスコミがそんなふうに煽ったら人間心理はどう動きますか?

 

株式投資していた人たちはみなすべて売り払いました。

銀行に預けているお金も引き出そうとしました。

 

そうやって、さらに株価は下がっていきました。

銀行も苦境に立たされていきます。

 

さらにFRBは、金の流れを引き締めました。

金の流れが悪くなると銀行はさらに苦しくなります。

FRBの傘下にない小さな銀行の苦境をFRBは無視しました。

 

その結果、銀行の3分の1が倒産しました。

銀行が潰れると融資を受けていた企業も倒産します。

 

そして、何百万人もの失業者が路頭に迷うという悲劇が生まれたのです。

そんな状況が3年間続きました。

人々の恐怖と不安の精神状態はさらに続きます。

 

人々の恐怖の感情がピークに達したとき、

人々は何を求めるようになったでしょうか?

 

そして、カバールが好き勝手にできる全体主義国家を作るために、

何が必要でしょうか?

それがわかれば奴らの計画が見えてきます。

 

 

 

●恐怖の感情がピークに達したとき人々は何を求めるのか?

大恐慌のときの大統領はフーバーでした。

「どの鍋にも鶏1羽を、どのガレージにも車2台を」

というスローガンで当選した大統領です。

 

就任演説では

「今日、我々アメリカ人は、どの国の歴史にも見られなかったほど、

貧困に対する最終的勝利の日に近づいている」

とフーバー大統領は述べています。

 

公約通りフーバー大統領はアメリカに好景気をもたらし、

国民の生活を豊かにしました。

 

そこへ1929年10月24日の株暴落(ブラックサースデイ)です。

フーバー大統領は大恐慌のとき有効な政策を出さなかったと批難を受けます。

 

1932年の大統領選挙で負けてフーバーは政界を引退します。

このときフーバーを負かしたのが、

ルーズベルト大統領でした。

 

大恐慌で恐怖の感情がピークに達したとき、

人々が渇望したのは、

「大きな政府に国民の面倒をみてもらおう」

と福祉国家を求めるようになったのです。

 

国民の多くは政府依存症になり、

政府の権限拡大を認めるようになります。

 

そこで誕生したのが「お金バラマキおじさん」の

ルーズベルト大統領です。

 

「ニューディール政策」の失業者対策という名目で、

公共事業を増やして国の借金を増大していきます。

 

カバールは無尽蔵に紙幣を印刷できるようになりました。

 

政府が市場経済にイヤというほど干渉し、

民間企業にいちいち口を出すようになりました。

 

さらにルーズベルトは国民が金貨や金塊を

保有することを禁じ国民から金を没収しました。

 

ルーズベルト大統領のとった政策は、

アメリカを社会主義国家へと突き進んだのです。

 

 

そして、もう1つルーズベルトが画策したのが戦争です。

ルーズベルトを操っていたカバール実行部隊の中心人物は

ロックフェラーでした。

 

1913年FRBが設立した年に重大な出来事がありました。

ロックフェラー家が所有する鉱山で激しい労働争議が発生したのです。

軍隊が出動し爆弾事件まで起きた重大事件です。

 

ロックフェラー2世は

「民衆から我々1%の人間が敵視されるのは、やはりマズい」

と考えるようになります。

 

「お父様も、民衆から敵視されたことがありました。

あの頃は、身の危険も感じました」

と側近が語ります。

 

「民衆には、もっと際立った巨大な敵をあてがわなければならない。

民衆の大切なものを奪い取る絶対的な敵をな」

 

「つまり、民衆の目を我々ではなく、巨大な敵に向けさせるということですね」

「その通りだ。民衆が一番関心を示すのは戦争だ」

 

「で、具体的にはどうやって敵を作るのですか?」

「そうだな。近頃軍事大国となって幅を利かせている日本がいいだろう。

日本を仮想敵国としてアメリカ人の目を向けさせるんだ。

ルーズベルトに電話をつないでくれ」

 

そんなふうにルーズベルトの基本方針が決まったわけです。

ルーズベルトは志那人は友だちだけど日本人は敵だと

ことあるごとに主張し国民に呼びかけていきます。

 

一方、ロックフェラー財団は大宣教師団を支那へ派遣し

「布教活動」「医療活動」「反日活動」

この3本柱で支那を支援します。

 

ロックフェラーのスタンダード石油は支那に石油を売っていました。

さらに、義和団事件の頃からアメリカ軍を支那に派遣していました。

 

ルーズベルトはアメリカを戦争へと誘導していったのです。

戦時下では政府の権限は絶大なものになり、

カバール1%の人間の好き勝手なことができますからね。

 

しかも、民衆の目をカバール1%からそらすことができます。

 

フーバー大統領は回顧録で、

「太平洋戦争はルーズベルトという狂人がしかけた戦争だった」

と言っています。

 

 

国家の権限を強化し、

戦争へと突き進むという計画のもとに誕生したのが

ルーズベルト政権だったのです。