石原慎太郎さんは、
金権政治の田中角栄を激しく批判していました。
その石原さんが主張を変え、
田中角栄の真実を伝えるために書いたのが『天才』です。
2016年に出版された本です。
一人称で書かれた小説で、
石原さんが角栄さんに惹かれていった思いが
十二分に表現されています。
今回は、この石原慎太郎著『天才』を
ひも解いてみたいと思います。
●多くの日本人が田中角栄を極悪人だと思っていた!
角栄さんがロッキード事件で逮捕されたのが、
1976年のことです。角栄さんは58歳でした。
角栄さんが総理大臣になったのが1972年。
1974年に田中内閣が総辞職し三木内閣が誕生します。
つまり、角栄さんが総理を辞職したあとすぐに
ロッキード事件が突如勃発したのです。
逮捕され保釈されたあと角栄さんは、
選挙で当選し議員を続けました。
その後、政界の闇将軍として活躍するのですが、
ロッキード事件の裁判がずっと続き、
イメージを悪くした角栄さんから、
子飼いの政治家たちが離反していき、
急速に力を失っていきました。
角栄さんの金権政治に対する批判が
連日、テレビで報道されていましたので、
多くの日本人が角栄さんを極悪人だと思っていました。
しかし、その後、実は角栄さんはアメリカの逆鱗に触れて、
アメリカに潰された政治家なんだってことが明らかになりました。
石原さんは本書のあとがきでこう言っています。
「私たちは田中角栄という未曾有の天才を
アメリカという私たちの年来の支配者の策謀で
失ってしまったのだった。
歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、
無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、
この国にとって実はかけがえのないものだったということを
改めて知ることは、
決して意味のないことではあるまい」
●アメリカの逆鱗に触れてしまった田中角栄
角栄さんが通産大臣だった頃、
日米繊維交渉と沖縄返還の交渉がはじまりました。
「糸を売って縄を買った」と言われました。
つまり、日本の繊維産業をアメリカに売り渡し、
その代わりに沖縄を返還してもらったという意味です。
ときの佐藤栄作総理は日本の繊維産業を壊滅させました。
日米繊維交渉は「貿易戦争」とまで言われました。
ニクソン政権は「日本の安い繊維製品が
アメリカの繊維産業の衰退を招き失業者が増えた
日本は繊維輸出を自主規制しなさい」と言ってきたわけです。
佐藤栄作内閣の通産大臣として
角栄さんがこの交渉にあたりました。
このときの日米繊維交渉のことを
石原さんは『天才』でこう書いています。
相手が居丈高にテーブルを手で叩いて譲歩をせまってきた時、
俺が「貿易全体の収支バランスからすれば、
日本だってアメリカから買い込む石油で大幅な赤字じゃないか」
と強くいい返したら相手は返す言葉がありはしなかった。
角栄さんが繊維交渉でアメリカ相手に、
激しくやり合ったわけです。
しかし、日本の繊維製品のアメリカ輸出規制は、
1971年に決着します。
そして、1972年5月に沖縄が返還され、
同じ年の7月に角栄さんが総理大臣になりました。
このへんから角栄さんはアメリカにマークされるようになります。
総理大臣になって角栄さんは、
原子力発電所を推進します。
「電源開発促進法」という法律をつくり、
柏崎刈羽原発に補助金をあてました。
角栄さんが原発を推進したのは、
石油メジャーに依存していると、
日本はエネルギーで奴らの言いなりになってしまう
という愛国心からきたものだったと石原さんは言っています。
このへんのこともアメリカにとっては、
気に入らなかったようです。
角栄さんが一番、アメリカの逆鱗に触れたのは、
やはり中国との国交回復でした。
アメリカを差し置いて日中国交回復を成立させたわけです。
激怒したキッシンジャーがこんなことを言っています。
「ジャップにケーキを奪われた。
ジャップは最悪の裏切り者だ!」
キッシンジャーとしては段階的に中国との国交を結ぼうと考えていました。
さらに、新世界秩序の計画のなかで、
「アメリカと中国で世界を2分する」という思惑があったのです。
角栄さんは、その計画を打ち砕いたといえるでしょう。
『天才』ではこう言っています。
つまり、俺(田中角栄)は、
彼ら(アメリカ)に嫌われたのだ。
いみじくもキッシンジャーがいった
デンジャラス・ジャップからアメリカの利益を守るため。
誰かにいわせればアメリカという虎の尾を踏みつけた
俺を除くために、事を巧みに広く手を回して、
ロッキード・スキャンダルという劇を展開させたのだろう。
●ロッキード事件のおかしなところ
ことの発端は米国議会の公聴会でロッキード社の役員らが証言したことでした。
ロッキード社はジャンボジェット機を売り込むために、
巨額の工作資金を日本、ドイツ、フランスなどに流した」
という証言が外電からマスコミに流れました。
日本に流れた裏金は政商の小佐野賢治、右翼の大物児玉誉士夫、
総合商社の丸紅を通して、
政府高官の「T」という人物に渡ったというのです。
この「T」という人物が田中角栄だというのです。
そもそも、発端となったロッキード社の役員らの証言がいい加減なのです。
アメリカの裁判で認められている「免責証言」だったのです。
「免責証言」というのは、
その証言に関する事実に関しては
証言した者の責任は一切問わないというものです。
つまり、証言者は、その証言を導く者の
期待通りの証言をする可能性があるということです。
こんなバカな裁判は日本では成立しません。
「それを敢えて行わしめたものは何なのか、
それは日本から遠く離れたアメリカの地で、
最初に仕込まれた策略に違いない」
と石原さんは『天才』で語っています。
左翼政治家がこのことを取り上げて
国会で厳しく角栄さんを責め立てます。
それをマスコミが反田中を掲げて
ネガティブキャンペーンを展開しました。
1976年に次々と怪死事件が起こります。
日経新聞の記者が2月に亡くなっています。
6月には児玉誉士夫の元通訳が急死しています。
8月には角栄さんの運転手が自殺しているのです。
そのたびにマスコミが騒ぎ立てて、
「田中角栄は極悪人」というイメージを作っていきました。
1983年にロッキード事件の一審で
懲役4年、追徴金5億円の実刑判決が出てしまいます。
もちろん、即日控訴されますが、
マスコミは角栄さんが犯罪者であるように報道しました。
1987年に東京地裁は一審の判決を支持しました。
1993年に肺炎のために75歳で死去。
1995年に最高裁が角栄さんの犯罪を確定しました。
●田中角栄は極悪人だったのか?
『天才』のあとがきで石原さんはこう語っています。
例えば国民の多くのさまざまな情操や感性に
多大な影響を与えているテレビという
メディアを造成したのは他ならぬ
田中角栄という若い政治家の決断によったものだし、
狭小なようで実は南北に極めて長い日本の国土を、
緻密で機能的なものに仕立てた高速道路の整備や、
新幹線の延長配備、
さらに各県に1つずつという空港の整備の
促進を行ったのは彼だし、
エネルギー資源に乏しいこの国の自活のために
未来エネルギーの最たる原子力推進を目指し、
アメリカ傘下のメジャーに依存しまいと
独自の資源外交を思い立ったのも彼だった。
そのために彼はアメリカという支配者の
虎の尾を踏みつけて彼らの怒りを買い、
虚構に満ちた裁判で失脚に追い込まれたが、
その以前に重要閣僚としてアメリカとの
種々交渉のなかで示した姿勢が明かすものは、
彼が紛れもない愛国者だったということだ。
石原さんは、この本を通じて、
私たちに何を伝えたかったのでしょうか?
それは、真の愛国者は誰なのか、
政治家をしっかりと監視せよ
ってことではないでしょうか?