· 

共産主義者が支配する世界 恐怖のポルポト政権

共産主義者が世界を支配したら、

いったいどんな世の中になるのでしょうか?

 

共産主義とか社会主義とか左翼とか、

左翼の思想に毒されるとどうなるのか、

今回は、そのへんのことを考えてみたいと思います。

 

共産主義の国って例外なく粛清と称して、

国民を大量に虐殺してますよね。

 

なんで、そんなことになってしまうのでしょうか?

大量虐殺の最たるものがカンボジアのポルポトです。

ポルポトのやったことを見ていきながら、

共産主義という考え方の危険性について考えてみたいと思います。

 

 

共産主義に傾倒したポルポトが考えた理想の社会とは?

昔、カンボジアにポルポトという独裁者がいました。

このポルポトが若いころ、パリに留学するのですが、

そこで共産主義と出会います。

 

「国民全員が資産を平等に分け合って、

格差のない理想の社会を実現するんだ」

という共産主義の思想にポルポトはかぶれていきました。

 

革命に身を捧げるなかでポルポトは農村へ逃げた時期があります。

そこで出会った農民たちの生活を見て、

これこそ理想の世界だと確信します。

 

「そうだ! 原始時代に戻ればいいんだ」

いわゆる「原始共産主義」というものです。

文明をすべて捨てて、みんなが原始時代に戻れば、

平等で格差のない国ができる、と考えたんですね。

 

これはかなり過激な考え方でした。

普通の共産主義は労働によって得た財産を

みんなで共有しようという考えですが、

「原始共産主義」は原始時代の生活を理想としています。

 

原始時代は生み出されたものは即座に消費されるわけですから、

私有財産そのものが存在しなかったのです。

 

原始時代は土地の所有という概念もありません。

道具や家などもみんなで共有していました

階級支配もなく格差も存在しなかった、

そんな社会を作ろうとポルポトは考えました。

 

 

 

1975年4月カンボジアのプノンペンが

カンプチア民族統一戦線(クメール・ルージュ)によって制圧されます。

クメール・ルージュという過激な武装集団のリーダーがポルポトだったのです。

 

このとき「民主カンプチア」という国家が成立します。

1979年に崩壊するまでの4年間、ポルポトは首相に就任しました。

このときからポルポトは独裁者になります。

この国を支配した独裁者のポルポトは

理想の共産主義国家を建設しようとしたのです。

 

 

 

 

 

ちなみにカンボジアの歴史をざっとおさらいするとこうなります。

1954年にフランスから独立して「カンボジア王国」ができます。

ところが内戦がはじまりクーデターによって

1970年に「クメール共和国」が成立します。

1975年からポルポトが支配する「民主カンプチア」という国ができます。

ベトナムとの戦争でポルポトが失脚し

1979年に「カンプチア人民共和国」が成立します。

その後、さらに内戦が続き、

国連の監視下で暫定統治機構による統治が開始されます。

1993年「カンボジア王国」が復活して現在に至ります。

 

 

 

 

 

 

ポルポト政権がやったこと!

ポルポトが実施した政策はめちゃくちゃでした。

とにかくポルポトが目指したのは文明を捨てた原始社会です。

 

原始時代にお金はなかったはず。

「そもそもお金というものが存在するからおかしくなるんだ」

ということで、

・お金という制度を廃止しました。

「新しい国にお金は必要ない。

お金のない平等な社会を作るのだ。

みなが労働者になるのだ」

そんなことをスローガンにしていました。

 

「学校や病院も原始時代にはなかったよね」ということで、

・あらゆる公共サービスを廃止しました。

子どもたちには青空教室で、

「敵を殺せ!新国家建設のために命を捧げろ」と教育します。

 

 

「音楽や絵画、娯楽って原始時代になかったよね」ということで、

・あらゆる文化や娯楽を禁止しました。

 

「おしゃれな服を着て金持ちと貧乏人の格差を作り出してるよね。

格差のない社会を作るには服装も一緒にしなきゃいけないんじゃね」

ってことで、

・私服を禁止しみんな黒い服を着るようになりました。

 

・自由恋愛や自由結婚も禁止となりました。

 

 

「そもそも町とか都会とかがあるから格差が生まれるわけ。

原始時代にはそんな貧富の差はなかったよね」

 

・「そうだ! 都市をなくしてしまおう」ということで、

都市に住んでいた人々を農村に移動させました。

 

「でもさぁ。そうやって文明を否定して全員農村へ移動させたとしても、

国民のなかに知識を持った人間がいたら、

またそこに文明が生まれて都市ができてしまうよ」

 

 

 

「そうだ! 知識を持った人間を消してしまおう」ということで、

医者、教師、研究者といった知識人

歌手、俳優などの文化人もかたっぱしから処刑していきました。

 

「宗教も必要ないよね」ってことで、

僧侶はみな農村で奴隷のように働かされ、

歯向かう僧侶は処刑されました。

 

 

「でもさぁ。奴らは、バカなふりをして逃れるかもしれないよ」

 

「そうか、たしかに、バカなふりをされたら、誰が知識人かわからないね」

 

「じゃあ」

ということで、眼鏡をかけている人間をすべて逮捕して処刑しました。

 

「当然、字が読める奴も知識人でしょ」

ってことで字が読める人間も処刑しました。

生き残ったのはバカばっかり。

 

「手が綺麗な人間って農作業していないってことだよね」

 

「それはけしからん」

 

ということで、

手が綺麗な人間も処刑されました。

 

 

「海外へ留学している奴らはどうする? まぎれもなく知識人だよね」

 

「何とかして本国へ呼び戻さなきゃね」

ってことで、

 

「新しい国づくりの手伝いをしてほしい」

と連絡して本国へ戻るように呼びかけます。

 

そして帰国したところを逮捕して処刑です。

 

 

 

銃を持って国民を虐殺した人たちとは?!

そんな残虐なことを普通の常識を持った大人には絶対にできません。

そこでポルポトがターゲットとして狙ったのが子どもたちです。

 

毛沢東が文化大革命を起こすとき、

実行部隊として結成したのが少年兵たちでした。

 

子どもは何の思想にも染まっていないので、

洗脳しやすかったのです。

 

ポルポトも毛沢東を真似て、

少年兵を結成し邪魔者を処刑する実行部隊に仕立てたのです。

 

 

「より良い社会を作るための革命には犠牲が必要なのだ!」

 

「私たちは、世界に類をみない独自の国を建設しているのです」

 

「新しい理想郷をここに作ろうじゃないか!」

 

「たとえ親であっても、社会の毒と思えば、

微笑んで殺しなさい」

 

「我々はこれより過去を切り捨てる!」

 

「泣いてはいけない。泣いてはいけない、泣くのはいまの生活を嫌がっているからだ」

 

「笑ってはいけない、笑うのは、昔の生活を懐かしんでいるからだ」

 

こんなスローガンでポルポトは子どもたちを洗脳します。

泣くことも、笑うことも禁じられ、

感情を表面にだせなくなった子どもたちが銃を持たされ、

国内の善良な人々を殺しまくったわけです。

 

 

「人を殺すことはいいことだ。

理想国家建設のために必要なことなんだ」

と子どもたちは教えられたわけです。

 

ポルポト派の少年兵たちの証言があります。

 

「ボクは10歳の時、初めて人を処刑した。

後ろ手に縛った『敵のスパイ』の男10人をボクら6人で森に連れて行った。

40歳くらいの男が無言でボクを見た。怖くはなかった。

後ろから銃殺した」

 

「みんなで百まで叫ぶのが日課だった。

間もなく兵士になるよう命じられた。

兵士はご飯がたくさん食べられるし銃を持てる。

みんながなりたがった」

 

「楽しくなんかないけど、悲しくもない。

頭を空っぽにして撃つ。ダダダダッ。

銃声を消すためトラックのエンジンをふかし続けた。

純粋なカンボジア人の独立国をつくるためだった。

後悔はしていない」

 

「ボクの部隊は、北西部で数千人の敵を処刑した。

大きな穴を掘り、その前に順番に立たせる。

敵は『根絶やしにする』のが方針だから、女や子どもも、だ。

穴に積み重なる死体を見て、

気を失ったり泣きだしたりするやつもいた」

10歳の少年にこんなことをやらせるんだから、

恐ろしい世界ですよね。まさに地獄です。

 

 

 

恐怖の監視社会ができてしまった!

こんなめちゃくちゃな政策がうまくいくわけがありません。

内部からも反発が出てきます。

 

しかしポルポトは政策がうまくいかないのは

自分のせいだと考えませんでした。

内部に敵がいるからだと考えたのです。

 

「内部の敵をあぶりだせ!」といって、

お互いがお互いを監視するように仕向けました。

 

「おいおい、あいつ、気に入らないので、内部の敵ってことで告発しようぜ」

って感じで告発された人間もいます。

もちろん処刑されました。

 

「おいおい、真面目に生きていても、いつ告発されるかわからないぞ」

と社会全体が人間不信に陥ります。

 

「告発される前に告発しなきゃ、こっちが殺されてしまうぞ。

誰でもいいから告発しようぜ。そうしなきゃ自分が殺されるからな」

 

密告された人は収容所に入れられ毎日拷問を受けます。

何の罪もない真面目な人間がそんな目に合うわけです。

 

「お前の仲間は誰だ、吐け!」

そんな拷問を受けたら、あなたならどうしますか?

 

拷問はどんどんエスカレートしていきます。

何の罪も犯していないし、仲間なんていません。

そもそも内部の敵でもなんでもないんですから。

 

でも、拷問を毎日受けていると

「仲間なんていないけど、誰かの名前を言わなければ、

拷問はこれからも続いてしまうぞ」と思ってしまいます。

当然、処刑されるのですが、

知り合いの名前を適当に言ってしまうわけです。

 

そして、また、何の罪もない人が逮捕され拷問を受け、

また何の罪もない人の名前を言ってしまい、

次々と善良な国民が処刑されていったのです。

 

女性たちはレイプされたあとに殺されました。

赤ちゃんは木に叩きつけて殺されました。

そんな残虐なことが日常的に行われていました。

 

復讐者が現れないように一族もまた皆殺しになりました。

 

 

壊滅的な状況になったカンボジアは

公共施設や設備、工場などが破壊され、

文字通り文明のない原始時代になってしまいました。

 

都市部の人口を農村に移動したといっても、

農業ができるわけがありません。

農業機器も破壊されていましたから鍬や鎌を持った手作業です。

過労死が続出しました。

それで食糧不足になり餓えて死ぬ人も多く出たのです。

 

そんな状況下でポルポトはベトナムと戦争をしてしまいます。

ベトナムは長年アメリカと戦った経験がありますし、

米軍の残した武器がありましたから、めちゃくちゃ強かったのです。

本格的な戦闘になると、たった2週間でポルポトは敗北し亡命します。

 

それで、ポルポト政権は瓦解し大虐殺は終了しました。

1975年から1979年の間に150万人から200万人が犠牲になったといわれ、

当時のカンボジア国民の約4分の1が消されたのです。

 

「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」

マークトゥエインが言った言葉だと言われています。

 

ポルポトの大虐殺とまったく同じことは起きないでしょうが、

違う理由で大量に人口を調節するという社会が、

やってくるかもしれません。

 

ここで警鐘を鳴らしておきます。

 

アンジェリーナ・ジョリが監督した映画

『最初に父が殺された』は、

まさに、このときの悲劇を伝える映画です。

この映画のなかで生き延びた主人公の少女が

最後にちょこっと笑顔を見せるシーンが救いです。

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

共産主義者が権力を手にすると、

なぜこんな国ができてしまうんでしょうね。

ちょっと私には理解できません。

わかる人がいたらぜひ、教えてください。